一般葬儀とは異なる家族葬が増えてきた背景と実態を考えよう

一般葬儀とは異なる家族葬の背景と留意点

一般葬儀とは異なる家族葬の背景と留意点お葬式の様式は世界中、あるいは宗教ごとに千差万別です。キリスト教でもプロテスタント、カトリック教会、正教会では違いがありますし、チベット仏教やゾロアスター教徒は鳥葬です。お葬式の様式は国や地域によって住む人々の宗教観や死生観がにじみ出るものですから、どれが正しいお葬式ということはありません。

昔の日本においてもお葬式は重要な儀式であり、対外的な評価や世間体を気にするのが一般的でした。祭壇はできるだけ豪華にする方が格式が高いとか、僧侶の数が多いほど立派なお葬式であるとか、会葬御礼の品は恥ずかしくないものでなければならないという社会的通念がありました。しかし近年、そうした旧来の風習にこだわらず家族だけでのお葬式を執り行うケースも増えています。これにはいくつかの要因があります。第1に超高齢化社会になって従来の一般葬儀で行う理由が希薄になってきたことと核家族化の進行です。第2に死生観や宗教観が多様化してきたことです。第3に経済的理由です。

日本は世界でも有数の超高齢化社会です。サラリーマンにしろ個人商店主にしろ、リタイアして第一線を退けばそれまで濃密なつながりがあった同僚や取引相手、常連さんなどとの関係や接触は日を追って少なくなります。昔のように平均寿命が短い時代は、訃報を聞いて駆けつけるかつての同僚や顧客も多かったのですが、現在のように高齢化が進むと遺族が故人の昔の友人の消息を探すこと自体が困難です。とりわけ団塊の世代が社会参加するころから核家族化が進行していったことが、伝統的な一般葬儀だけではなく家族葬という新しい発想の形態を醸成していきました。団塊の世代は旧来の価値観を打破して新しい価値観を創造するという空気の中で育ったため、お葬式についても新たな潮流を生みました。

かつての日本では一般葬儀は一種の社会的セレモニーという側面がありました。地方の寒村の小さなお葬式では、村人たちが総出で準備に精を出し、お葬式の後は村人が集って故人をしのぶ弔いの宴が開かれました。そうしたことによって地域コミュニティの結束を強め、地域を活性化させることに寄与していた面があります。都会の大企業の会長のお葬式や告別式ともなれば、政府の要人や財界人、文化人ら相当数の人々が会葬に訪れますが、これもビジネス上のつながりの維持継続や、人間関係の強化という意味合いが含まれています。しかし、近年はそうした旧来の価値観や宗教観とは違う家族葬という発想が広がってきました。端的にいえば周囲への配慮よりも遺族の気持ちを優先するという考え方です。具体的にはごく近い親族だけで、ゆっくりと時間をかけて故人をしのび、十分納得したうえで故人を送り出すという形態です。死生観や宗教観の変化が現代においてお葬式の多様化をもたらしています。

経済的な側面もあります。一般葬儀はお金がかかりすぎるという事は一概には言えません。ただ、遺族が思っていた金額と請求額に乖離が生じるということが過去にはしばしば起きたことから、料金体系がシンプルな家族葬を選択するという人が増えています。ある調査によると、一般葬儀にかかる費用の平均額は約196万円です。家族葬はそこまでの費用はかからないのが一般的ですが、僧侶を呼ぶのに必要なお布施や火葬などの金額は変わらないので、経済的であると言い切るのは難しいところです。むしろ非正規雇用という不安定な立場の人々の増大や、高齢化が進んだばかりに高額の高齢医療や介護で財産を使い果たしてしまうケースなど、お葬式の費用を捻出することが困難になったり、残される遺族に負担をかけたくないという思いから遺言で家族葬を希望するというケースもあります。家族だけで静かにゆっくりと故人を見送りたいというのが本来の主旨なのですが、家族葬は現代の日本社会が抱える経済の凋落や社会構造の不安定化を反映しています。

最新記事